どうもiwakoです。
皆さん、死ぬ瞬間ってどう思うのか、そこに意思や感情があるのか、どんな気分なんだろうと考えたことはありませんか?
ありませんね。
僕は考えてしまいます。
脳の機能が停止していればそりゃあもう何も考えられませんけど、その状態はすでに死んでいる状態です。
僕が考えるのは脳の機能が停止するまでの間の話です。痛みはあるのか、それとも何も感じないのか、だんだんと意識が朦朧として何も考えられなくなるのか。
死ってなんだろう?
死にたいとかではなく純粋な疑問としてね。死ぬ感覚を味わいたいとかそういうのはありません。僕に自殺願望があればもう少し楽に生きられると思いますけどね・・・。楽に生きるために死のうとするなんてとても矛盾していますが。
固い話をするつもりはありません。科学的に検証するつもりもありません。宗教の話でもはもちろんありません。
臨死体験について
死ぬ時の感覚なんてものは誰にも分からないのではないかといいます。だって死にますから。死んだものにしか分からないことがあります。
でも臨死体験という言葉を聞いたことがあるでしょう。生と死の狭間を行き来したり死後の世界の見ることを臨死体験と言います。死の淵から蘇った人が「臨死体験をした」と。
この証言も不可解なもので本人にしか分からないものですから、それが本当に死後の世界なのか判別しようがありません。脳が麻痺して幻覚を見せているだけかもしれません。ただの夢かもしれません。
そんなわけで臨死体験で起こると言われている様々な出来事について書いていきます。
三途の川に行く
よく聞きますね。三途の川を渡ればあの世に行きます。そもそもあの世とはなんぞやという話ですけどね。地獄?天国?あの世には何があるのか。意識は?考えたらキリがないのでとりあえず三途の川の話です。
渡し船が来てあの世へ連れて行ってくれます。渡し船とは?案内人みたいな人が乗っているということですかね。ならその案内人は何ものなのか。船に誰も乗っていないのであれば渡し船は自動操縦ということになります。技術力がパないですね。うん考えたらやっぱキリありません。
先に亡くなった身内が手を振っていて「まだこっちに来てはいけない」と追い出されて臨死体験をしたという報告事例もあります。
また、三途の川は賽の河原とも言われていて、親より先に死んだら積み石をさせられるとも言われています。塔が完成する前に鬼が来て壊してしまう。だから積み直さなければいけない、永遠に。
僕はその鬼に言ってやりたいです。
「おい、そういう嫌がらせすんなよ。かわいそうだろ!」
暗いトンネルを通る
真っ暗なトンネルを歩いているような感覚があったという臨死体験をした人もいるらしいです。
そしてトンネルの向こうには光が見えてくると言います。この光によって目覚めた人もいると言います。今流行の光目覚まし時計ですね。太陽のようなまぶしい光を浴びることで脳のセラトニンが活性化されて目覚めるんですね。そういうこと?
ということはあの世への光ではなくて生きるための道しるべみたいなものなんですかね。
でも真っ暗なトンネルなんか歩いていたら方向感覚がおかしくなって気が狂いそうです。大丈夫ですかね?そしていきなりまぶしい光の中に飛び込んだら目がやられますよ。目が。目覚めたのはいいけど失明してたらシャレになりません。まあ生き返るための代償なのだとしたら安いものですが。
・・・以上どうでもいい話でした。
死者と出会う
先に亡くなったはずの家族が目の前に現れます。
三途の川の例でも書きましたけど、「まだこっちに来てはいけない」と諭され目が覚めるパターンがあります。
逆に死んでしまうとなると、その家族があの世まで案内してくれるのでしょうか?
臨死体験した人は不思議と怖くないということを聞きます。僕は急に死んだ人が目の前に現れたらパニックになりそうですがそんなことないのでしょうか。それか死を悟り、逆に落ち着くのでしょうか。
それが幽霊かどうかも微妙なところです。死の間際に「会いたい、会いたい」と思ったからこそ脳が勝手に作り出した幻だということも十分に考えられるのですから。
幽体離脱
ふわぁと魂が抜けるような感覚がして自分の姿を真上から見下ろす人もいます。
魂が抜ける感覚ってどゆこと!?と自分で書いてて思いました(笑)あれですかね、ジェットコースターに乗って頂上から急降下するような感覚ですか。確かにあれも魂が抜けるような気持ちになります。終わった後何も覚えてませんから。
幽体離脱したあとの意識ははっきりしていて自由に飛び回れるのだとか。幽体離脱であれば一度は体験したいものです。女湯覗くことをまっさきに思い浮かんだ僕はやっぱりむっつりなんだと思い知らされました。
幽体離脱後に自分の体に戻れれば意識は回復するのでしょうが、死ぬとなるとどんどん肉体から切り離されていつの間にかあの世にいたということもあり得ます。知りませんけど。
もしも幽体離脱していた時の記憶があるのであれば、自分の意識のない時の情報を提示することで幽体離脱していろんなものを見ていたという証拠にはなりますね。
走馬燈を見る
「走馬灯のように駆け巡る」と言いますよね。死にそうになった時に今までの思い出が頭の中を駆け巡るというやつです。
これは、死を目前にしたときに、どこかで助かる方法をないか探そうとして過去の記憶を探し、結果的に思い出の記憶が脳裏を巡っている形になる、ということみたいですけど、そんなことがあるのでしょうか。
普通にですよ、普通に考えてですよ。死の瞬間にそんなこと考える余裕ないと思うんですけど。
過去の記憶がすごい勢いでフラッシュバックなんかしたらそれこそ脳がパンクしてダメになりそうですよね。僕の脳みその容量だと絶対無理です。思い出せたとして今日の朝ごはんですよ。
死の淵に立ったら脳が活性化すると聞いたことありますけど、そんな”不思議パワー”が起こったとして、辛かったり痛かったり苦しかったり、即死の場合なんてどのタイミングで考えればいいんですか?そんな一瞬で記憶が脳裏をよぎったらなんのこっちゃわからないですよ。
「死ぬ時の感覚ってどんな感じ?走馬燈など、臨死体験はあるのか?」まとめ
以上、死ぬ時の感覚について書いていきました。
こんな記事を書いている時点で相当やばいとは思いますけど皆さん引かないでください。僕は正常です。「僕は正常です」と言っているのも僕個人の感覚なので本当かどうかは分かりません。周りから見たらやはりやばいやつかもしれませんしね。
臨死体験についても同じことです。いくら「臨死体験した」と言われても確固たる証拠がないとにわかには信じられません。
誰にも分かりません。分からないことだらけです。そんな不思議体験アンビリーバボーな経験をすれば自慢したくもなりますが想像の範疇を超えているのできっと理解してもらえません。
もしもいつか死の淵を彷徨うことがあれば、皆さんも僕も経験することになるのかもしれませんよ。
死ぬ方法について。

死にたいのに死ねない理由とは。



死んだらどうなる?な記事。
https://www.iwako-light.com/entry-sinndaradounaru