人生の物語を楽しむブログ!ネガティブ・ライト

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自殺する勇気のある人はすごい、死にたいのに死ねない理由とは

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 最近、特に意味はありませんけど自殺者のニュースを探ったりしてます。いえ、ほんとに深い意味はないんですけど・・・。どういう死に方をしたか、なぜ死のうと思ったのか。

これらを見て時々思うことなんですけど、自殺する人は何を考えてるんだろう?

『自殺する勇気があるなら生きてみろ』

こんな言葉があります。

「自殺は勇気なのか?ただ逃げてるだろ」と考える人もいるのでしょうが、首つり、飛び降り、自傷行為などを実行するにはやはり勇気は必要だと思う。

 

例外として殺人理由で「むしゃくしゃしてやった」のと同じように衝動に駆られて起こる場合もありますね。

生きる気力を失ってフラフラと車道にでたら轢かれてしまったなど・・・無意識に自殺を図る場合ですね。相当精神的に追い込まれていて生きることを考えられなくなった人です。

 そこまで来たら誰にも止められません。本人にも。

何も考えていないわけですからいくら周りが自殺するのを説得しようとしたところで聞こえていませんし気がついたら死んでいます。 

ただその場合でも死のうとする瞬間に我に返る場合もあります。

そこからが死ぬ勇気をだせるかどうかです。その場で怖くなり、へたり込んで泣きじゃくる人もいれば勇気を振り絞る人もいます。

死ぬ勇気がある人は尊敬こそ全くしませんが、すごいと思います。

よく死ねるな!と。相当な覚悟と勇気が必要に違いありません。

だって痛いじゃないですか、怖いじゃないですか。

僕は自殺すること自体を否定するわけではありません。

死にたいほど辛い、死んだ方がまし・・・そう思うことはあると思います。これは人によりますので僕の考えには及ばない範疇です。

ただ、死ぬ勇気を生きる勇気に変えられなかったのかという純粋な疑問はあります。

生きる勇気というのもおかしな言葉ではありますけど死にたいほど辛い世の中を生きていくことはできないのか。

 

必死にしがみついて、崖っぷちでそれでも今一歩のところで踏ん張って生きてる人はいます。

なぜ踏ん張れるのかは後ほどお話しますが。

 

まずは僕の話をしよう

 僕は死んだらそれは仕方がないと思っているような人間です。

思いがけない事故、事件に巻き込まれて死んでしまったら仕方がないです。

死にたいと思っているわけではなく・・・いやどうでしょう。例えば僕が事故で車に轢かれたとします。そしてギリギリ一命をとりとめたとします。

目が覚めて知らない天井が見えた瞬間言葉を発するわけです。

「くそう、何で死んでないんだよ」

こうぶつくさ文句を言うくらいには死にたいのかもしれません。わざわざ生命維持装置を外してまで死のうとは思いませんが。

それは多分、心のどこかで僕はどうしようもない人間だから死んだとしても何も変わらない。仕事は僕がいなくても回るだろうし、何のために生きているのかわからなくなる。悲しんでくれる人がいるのかどうかも怪しい。だから事故にあって死ねるのならば万々歳だと、そんな風に考えます。

 

僕はたまに自分がどうやったら死ねるか考えることがあります。

長い紐状のものを見たら「首に巻き付けて思いっきり縛れば死ねるかな」電車に乗るときは「飛び込めば死ねるかな」、こないだ殺虫剤を使っていて「もしかしたらこれを思いっきり飲んだら死ねるのではないか」と。

しかし実行はしません。絶対にしません。考えるだけです。

 まずは死ぬことへの恐怖が先行しますよね。それに痛くて苦しいのは嫌だから自分から首絞めたり致死量の薬飲んだりはしません。

他にも、あまりにも死ぬことに至るまでの障害が多すぎます。

 

死にたいのに死ねない理由

迷惑がかかるから

自殺というのはそれだけで迷惑がかかります。後処理をだれがするんですか?

一番迷惑がかかるのは電車の飛び込みですよね。何千という乗客の交通を妨げてしまいますから。

ビルからの飛び降りもどうでしょうか。落ちた衝撃で器物破損してしまったら?損害賠償を請求されるのは身内になります。

発見されると周りに多大な迷惑をかけてしまいます。発見されないとなると山奥で首をつれば鳥葬になる可能性もありますけど行くのがめんどくさいですし、発見されないとすごく惨めで寂しいですけど発見されたら迷惑がかかる、だから死ねない。

 

自分の私物がどうなるのか考える

死んだ後のことなんて考えなくてもいいのかもしれませんが僕は考えてしまいます。

もしも死んだ後に自分の部屋から大量のエロ本が発見されたら親はどんな気持ちになるでしょう。いやこれは例えばの話ですよ!実家なので親がいる家にエロ本を隠すなんて勇気僕にはありません。

でもやましいものがあったとして、それが発見されそうになったら幽霊になってでも阻止しますよ。恥ずかしいじゃないですか。

遺書を書く余裕があれば『部屋はそのままにしておいてください』と書き置きしますが、それでも物色する親はいると思います。取り憑いて呪い殺してやろうか。

僕は昔から物持ちはいいほうですが、それは裏を返せば独占欲が強いということなので人の私物を勝手に好き勝手されたくないんですよね。

頑張って集めた漫画を売られたらどうしよう、僕の貯金でしょーもないもの買われたらどうしよう、ブログを勝手に閉鎖されたらどうしよう、とこんなことが頭によぎってしまいます。今まで積み上げてきたものがパーになりますからね。

だから死ねませんよね。

 

親や友達が悲しむかもしれないから

もしかしたらこんなどうしようもない僕を悲しんでくれる人がいるかもしれません。

まず親ですか・・・僕の親が泣いているとこは想像できませんがやっぱ死んだら涙を流してくれるのでしょうか。こんな僕のために。でも葬式は身内しかいないでしょうね、知り合い少ないから。

友達はどうでしょう。おそらく連絡は途絶えるでしょうが、まさか自殺してるとは思いもよらず放っておくと思います。

何度連絡しても繋がらないと心配になった友達は家に訪ねるでしょう。・・・訪ねてくるのかな?ここでようやく死んだという情報が入るわけですね。友達の心境はどんな感じでしょう。僕では想像つきませんが、それでももし悲しんでくれるかもしれないと考えたら自分が悲しい気持ちになってきて死にたくなくなります。

 

たくさんの人に嫌な思い出として残ってしまうから

人の記憶ってのは嫌なことほど鮮明に残っているものです。

親や友達が悲しんでくれなくても僕が死んだという現実はつきつけられます。

大勢の人の前で死んだら皆にそれが残ります。それは忘れたくても忘れられない思い出として残ってしまいます。

忘れていてもふとしたときに思い出したりね。

僕の高校生時代、クラスメイトが一人病気で亡くなりました。僕自身はそこまで話さなかったんですけど学年が変わるまで机の上に花瓶が置かれていたので、卒業して忘れていても花瓶を見るとたまに「そう言えばあんなことあったな」と思い出してしまいます。そのたび悲しい気持ちになるわけですけど、僕はそんな思いさせたくないんですよね。

特に全く僕のことを知らない人の記憶に僕の死が残り続けるほど嫌なことはありませんよ。

 

後遺症が残る可能性があるから

はいでた!一番怖いのはこれです。今の時代睡眠薬を大量に飲んでもなかなか死なないと聞きます。それどころか脳に障害が残る可能性があります。

胃洗浄はものすごい苦しいらしいですよ。普通に嫌です。

マンションから飛び降りて一生歩けないと診断された体になったらどうしましょう。それこそ死にたくなりますよね。

 

あの花(あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。)を超えるアニメがでてくるかもしれないから

僕が一番好きなアニメはあの花です。それはずっと変わりません。アニメは好きですけどまだあの花を超えるアニメを見たことありません。僕の中ではの話です。

死んだら二度と見れません。生きてたらいつか見えるかもしれません。そんな感じです。

冗談のようで結構マジです。

 

HUNTER×HUNTERが終わらないから

HUNTER×HUNTERの最終回を見るまでは死んでも死にきれません。

永遠に僕は死ねないのかもしれない。

好きな漫画を読み続けたいのは立派な理由だと思います。

 

地獄に行き永遠に苦しみ続けることになるかもしれないから

死んでそれで終わりじゃなかったらどうしましょう。

もしも地獄というとこがあったとして、どれだけ悪いことすれば地獄に落ちるのか分かりませんが、もしかしたら自殺自体が悪の所業なのかもしれません。

死んだ時の苦しみを永遠に味わうかもしれない、針の山を歩かされるかもしれない、煮えたぎった血の池に浸からされるかもしれない。

終わりなき永遠の苦しみを味わうのは嫌じゃないですか?

それこそ死にたいけど死ねない状態。なぜなら死んでるから。

 

親より先に死んだら賽の河原に行くから

親より先立てば賽の河原に行って石を積まなきゃいけないじゃないですか。

苦手・・・なんですよね。積み上げたりさ。バランスよく積まなきゃいけないから収集力のない僕にはピラミッドに積むのも一苦労ですよ。

しかもなんですか、完成間近に鬼がやって来てぶっ壊していくらしいじゃないですか。

人の努力をなんだと思ってるんですかね。

生きてる時から無駄な努力ばかりしてきたのに、なぜ死んでからも無駄な努力をしなければいけないのか。

 

生きて入ればいいことあるかもしれない

結論から言うと、生きていてもいいことなんてありません。普通に生きている限りは。

そもそもいいことってなんですか?ご飯がおいしい、幸せな家庭を築いている、ガリガリ君で当たりが出た、価値観は人それぞれですが死ぬまで追い込まれている人のいいことというのは『辛い現状を打破できるような何か』だと思っています。つまり奇跡のようなものですね。

そんなものねーよ。

自分は変わろうとしないのに人生の流れが変わると思ってるんですか?

それはただの自己陶酔であり、「生きてたらいいことあるかも〜」と自殺を先延ばしにしているだけです。

僕もそう、分かってるんですよ。でも奇跡を信じたいという心はあるんです。

奇跡はないとは思うけど、いつか起こると信じている。

だから生きています。

結局は自分を騙して命を伸ばしてるだけですが、それでいいのじゃないでしょうか。

なんとも甘ったれた考え方ですが僕はその甘さ、嫌いじゃありません。

「最後まで生きてみたけどやっぱりいいことなかったー全くなんて人生だ!」で寿命を全うするかもしれませんが、それでもきっと人生生ききったと感じながら死ねると思います。

生きて入ればいいことあるかもしれないと自分を誤魔化し続けて、生きれなくなるまで生きてみてはどうでしょうか。

 

ちなみに他人から「生きていればいいことあるって!」なんて言われた日にはとても無責任な言葉に感じます。僕の未来のことなのになんで分かるんですか?予知能力者かなんかなの?

そういう人に限って無責任なんですよね。

精一杯努力しているのに「頑張って!」と追い打ちをかけられるようなものです。

ですが、「もしかしたらいいことあるかも」と信じ込んで死なずにすむかもしれません。そうなればその無責任なことを言った人に感謝しなければいけませんね。

いいことがなかったと実感することで始めて気づくことができます。

 

終わり~人生なんて適当に生きればいい~

僕は人生一度きりだから、自分にしかできないことをやりたい、成し遂げたい!ずっとそうやって生きてきました。でも考えれば考えるほど辛くなります。なぜならできないから。努力が足りないのか、向いてないのかやりたいことができません。だから無駄な努力と言われますけど、そしたらだんだんと生きる気力もなくなってくるわけです。「なんで生きてるんだろう」って。

あるとき気づきました、自分に期待はしない、見返りは求めないけど誰かのために何かしてあげたい、これが僕にとっての楽な生き方、もっと言えば適当に生きているということです。

苦悩や悩みばかりに集中しているから疲れてしまうんですよね。人生に対して深く考えすぎてませんかね。

家庭環境や仕事や結婚などで悩んでいるより、もっと肩の力を抜いて気楽に考えればもう少し人生が充実すると思いますよ。

人生なんて死ぬまでの暇つぶしなんですから。

 

 

死ぬ方法について。

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死にたい人の対処方。

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